CROWLEYは、オカルト、ホラー、魔術、魔法使い等をコンセプトにしたメタルバンドとして、1983年に結成され、活動を開始。1984年には、ヴォーカル、岩井高志(イワイタカシ)、ギター、古久根吉紀(コクネヨシノリ)、ベース、畔柳則之(クロヤナギノリユキ)、ドラム、HIRO (ヒロ)という、いわゆる黄金期と言われたラインナップとなり、バンドの人気は急激に上昇した。同年(’84)には、E.L.Lレーベルのコンピレーションアルバムに2曲、参加。その後、1985年にはシングル盤、「SCREAM OF DEATH」、1986年にはLP盤、「WHISPER OF THE EVIL」をリリースし、CROWLEYの人気は全国規模となり、更にヨーロッパ、北米、南米のメタル雑誌に紹介され、海外のプロモーターからツアーのオファーも受けるが、86年の暮れにドラムのHIROが、マネジメントとのトラブルにより脱退し、その数ヶ月後にベースの畔柳も脱退….。結局、バンドは海外ツアー、海外レーベルからのリリースを中止せざるを得なくなってしまった。その後、バンドは新しいドラマーとベーシストを加入させ、活動を続けるが、その後は作品のリリースもないまま、CROWLEYは、80年代後半に解散した。
80年代当時、CROWLEYは、派手なメイクと衣装、それにステージセット、パイロや火を使った演出などを行って人気を得た日本で最初のメタルバンドでもあったが当時、メジャーのレーベルとの契約をしなかった事と、過去のレコード盤のCD再発化がされなかった事により、CROWLEYは、ある意味、伝説化した幻のバンドとなってしまった。しかしながら、その時代以降に世に出て来て、一世を風靡したヴィジュアル系を含む、アリーナやスタジアムクラスでコンサートを行うまでになった数々の後世代のバンド達に、CROWLEYは絶大なる影響を与えていたのは紛れもない事実である。
そして…….どれだけの月日が経ったのであろうか…….。奇跡は起こった!!! 2017年8月、CROWLEYが、黄金期のメンバー3人岩井高志、古久根吉紀、HIRO)にプラス、新メンバーとして、ベースに三芳俊二を迎えて遂に再始動する。当初は、METAL ALL STARS という名の大規模な北米ツアーに参加し、アメリカとカナダで、20本のライヴを決行する事が決定したのが再結成のキッカケだった。。それに伴い、新たに歌詞を英詞にして録音されたニューアルバムを製作したがアルバム完成後、北米ツアーの延期が発表され結局、プロモーターが失踪するというアクシデントに遭い、ツアーはそのままキャンセルとなってしまった。しかしながら、CROWLEYはそれで終わってしまった訳ではない。長い眠りから覚めたCROWLEYの快進撃は、これから始まるのである。